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History

African Deep History

  • 2022年8月12日

「世界システム論」から見るアフリカ Ver.1

提唱者「エマニュエル・ウォーラステイン」 エマニュエル・ウォーラステインは、アメリカの社会学者・経済史者で巨視的な観点から世界の歴史と社会全体を「単一のシステム」と捉える「世界システム論」を提唱・確立したことで知られています。 世界システム論とは 世界の歴史や社会全体を「単一のシステム」と捉える 世界史システム論とは、世界の歴史や社会全体を「単一のシステム」と捉えたものです。 これまで、歴史は時代や地域によって切り分けて考えてこられましたが、ウォーラステインは、世界中で起こる問題や時代を超えて起こる世界の動き方の特徴はある1つのシステムにまとめられると述べています。 地域や時代に関係なく、この世界システム論に従って、近代世界は動いているというのです。 「中核」「半周辺」「周辺」という3階層からなるグローバルな分業体制であり周辺は中核によって直接的・間接的な支配を受けるとともに、その自律的な発展が阻害される 世界システム論では、グローバルに役割が分業されており、その種類は3種類に分けることができます。 現代社会はひとつの構造体をなしていますが、それは長い16世紀に、西ヨーロッパを「中核」、東ヨーロッパとラテンアメリカを「周辺」として成立しました。イベリア半島などが措定された「半周辺」は、両者の中間的な役割を果たします。 <16世紀> ・西ヨーロッパが「中核」 ・イベリア半島などが「半周辺」 ・東ヨーロッパとラテンアメリカが「周辺」 「中核」は、システム全体の経済的剰余の多くを受け取り、「周辺」はその対極にあり、経済的に搾取される構造にあります。 ここでいう分業とは、単に機能的な分業、つまり職種に関するそれだけではなく、地理的な分業をも含んでいる。経済的な役割は、世界システムの全域で均質ではありません。 このような地理的偏在が生じる一つの理由は、生態学的な条件が地域によって違っていることからできています。 しかし、もっと大きな理由は、地域によってそれぞれに固有の社会的労働の組織が成立したことにあります。 つまり、システムの内部で特定の集団が他人の労働を搾取する、つまり剰余の受け取り分を拡大する能力を強め、それを正当化するための組織が生まれるのだが、その差が経済上の役割の地域差をもたらすのである   […]

  • 2022年8月9日

アフリカの歴史(奴隷制度〜ネオコロニアリズムまで)ざっくり全体まとめ

アフリカを知る際に欠かせない歴史 アフリカ大陸出身の友達がおられる方、アフリカに行ってみたい方、アフリカでビジネスをしたい方にとって、アフリカの歴史を知ることは非常に重要です。 彼らの生活の背景を知り、人生を知ることは、彼らを理解する際に重要になるからです。 この記事では、軽く説明していきます。 目次 奴隷時代 植民地時代 ネオコロニアリズム 歴史から見る現在 奴隷時代(15世紀〜19世紀まで) 奴隷制度は、ヨーロッパ諸国により15世紀ごろに開始されました。 ヨーロッパがアフリカ大陸に進出し、黒人を船に大量に詰め込み、アメリカについてから鉱山などで働かせた。船では衛生環境が不十分であり、食事もまともに与えられず、足や手を鎖で繋がれたまま数十日を過ごすこととなりました。そのため、船で3分の1の奴隷は亡くなってしまったといいます。 奴隷を用いて、ヨーロッパ諸国は鉱山やプランテーションなどの資源を活用し、ヨーロッパ自国の利益に変えていった。これは国境を超えた資本主義の始まりと言っても良いでしょう。 アフリカの中では、「ヨーロッパ諸国の産業革命はアフリカの犠牲のもとで成り立っている」という意見があるのも確かです。 奴隷制廃止 1833年にギャリソンらがアメリカ反奴隷制協会を設立し、奴隷解放運動が始まりました。この運動は国論を二分した争いを呼び、その後に南北戦争が勃発します。南では奴隷継続を求め、北では奴隷制度の廃止を主張する大きな紛争となりました。南北戦争最中の1863年にリンカン大統領が奴隷解放宣言を発表し、大きな転換が図られました。 アメリカの奴隷制廃止は南北戦争終結後、1865年のアメリカ合衆国憲法修正13条で正式に奴隷制は廃止されました。 しかし、実質は「ヨーロッパと黒人奴隷」構造での奴隷制は無くなったように見えたが、現地「アメリカの黒人と黒人奴隷」という形での奴隷は残ることとなります。皮肉ですが、奴隷がアメリカで必要とされており、裕福な黒人が黒人奴隷を持つこともあったといいます。奴隷を服従させるために銃の貿易が盛んになったのも事実である。 身体的な搾取 奴隷時代に、アフリカの人々は明らかに身体的に搾取をされ、苦しめられてきた過去がアフリカ大陸出身の人々にはあったということです。 […]